パリはフランスの首都であり、パリ盆地の中心に位置します。2009年現在の人口は223万人、面積は約105k㎡であり東京の山手線の内側とほぼ同等です。政治・文化・芸術などにおいてフランスの中心都市であり、世界有数の観光都市でもあります。
現在のパリは19世紀オースマンによる計画によって形作られた都市が基盤となっています。
本調査ではパリにおいてパサージュあるいはギャラリー空間を調査対象としました。
パサージュpassageはフランス語で通路・通り道・抜け道・横町の意であり、これまで多くの文献で取り上げられてきました。その名前を有名にしたのはヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」です。この書の流行により、本来passage couvert(カバーの付いたパサージュ)とされるべき空間がパサージュと呼ばれるようになりました。今日、日本語でパサージュと言う場合も、ガラスの屋根の付いた歩行者の空間を指している場合が多くあります。
一方、ギャラリー galerieは回廊・歩廊・アーケードの意味です。パサージュとほぼ同意語ですが、ギャラリーのほうが高級感のある空間とされています。
パリ市の公式サイト1)に掲載されている2011年発行の資料には、19のパサージュが紹介されています。筆者らはこれらのうち7つのパサージュ(ギャラリーを含む)について現地調査を行いました。
パサージュ・デ・パノラマはパリ2区の北、9区との境界近くに位置します。パリに現存するパサージュの中でも古いもので、建設年は1800年です。その名前は、元々この地に2つのパノラマ2)を建設する計画があり、それらをつなぐ空間として建設されたことに由来しています。開業当時は珍しさも手伝い人気施設でした。その後1831年にパノラマが取り壊され、パサージュが拡張され、周囲4本の通りと接続しましたが、時代と共に次第にその栄華は去ります。現在、中心のパサージュ・デ・パノラマの部分は比較的華やいだ雰囲気を維持していますが、拡張された部分に入ると空き店舗も目立ち、人通りもほとんど無い空間となっています。
画像ギャラリー
モンマルトル通りを挟んでパサージュ・デ・パノラマの延長のように配置されているのがパサージュ・ジュフロワです。パリ9区に位置し、開通したのは1847年です。このパサージュは通路が途中でクランクのように折れ曲がっているのが特徴のひとつですが、これは当時の開発会社の所有する土地の形状に合わせた結果です。そしてパサージュを覆うガラス屋根の骨組みが鉄でできていることも特徴です。(前述パサージュ・デ・パノラマなど前時代のものは木造です。)
パサージュ・ジュフロワでは、管理会社の方にインタビューすることができました。以下はその内容をまとめたものです。
・22時~6時は閉めています。
・管理会社は建物全体の所有者です。
・店子33軒、店子の入替はほとんどありません。
・文化財として保護されているため、外観の変更には文化省の許可が必要です。
・清掃は1日2回(管理会社)と月2回(清掃会社)実施しています。
・各店舗の内装は契約時に基準を決めており、後は範囲内なら自由に改装できます。店のファサードまでは各店舗、通りの床と天井は管理会社の管轄です。
・他のパサージュとの連携はありません。
・15年以上前には店子同士の友好団体がありましたが、うまくいかなくなって解体しました。
現在でもパサージュ・ジュフロワでは、ホテル、蝋人形館、万年筆専門店、ステッキ専門店、ギフト用の雑貨専門店、映画パンフレット・ポスター専門店など伝統を感じさせる店も多く営業しており、適度に古い味わいを残した空間となっています。